(11)
実験が再開したのはそれから2週間後。山下も宮部も前と何も変わったとこは無かった。沢田も特に変わった様子を見せないようにしていた。ただ公開中の映画だけは予習していた。もし、宮部に映画ネタを振られてたら応えられるように。しかし、宮部は実験室では実験の話しかしなかった。
それから別になんにも起こらなかった。９月に入って宮部もようやく就職が決まった。山下がお祝いだと言って沢田たち二人に食事をごちそうしてくれた。
そしてすぐに年末がきて年があけた。沢田たちは研究の結果のレポートを作成した。もう卒業はすぐそこだ。あのデート？以来沢田はどうも宮部のことを意識してしまうのだが、宮部の方はそんなそぶりは露とも見せなかった。やはり、別に宮部は自分のことを意識してるわけではないのだ。それならそうで別にかまわない。どうせ卒業だし、そうすれば会うことももうないだろうし。
卒業式を控えて、研究室でお別れパーティーをやることになった。もちろんマスターも教授も参加する。だからと言って沢田には別に沸き立つものも何もなかった。もし、好きな人がいれば告白の最後のチャンス！ってことになるのかもしれないが......。
パーティーは大学のミーティングルームで行われた。料理は近所の店でオードブルを頼み、飲みものは近所のコンビニで勝ってきたものだ。安上がりな学生パーティー。
沢田は川添と隣あわせに座り缶ビールを飲みながら、サンドイッチをモソモソと食っていた。会場はそれなりに盛りあがってる感じだ。
「卒業旅行ってどっか行くんか？」唐突に川添が聞いてきた。
「旅行？べつに。川添はどっか行くんか？」
「いや、べつに.....。」それで会話がとぎれた。
壁際のテーブルの近くで宮部と山下が楽しそうにしゃべっている。その間に寒川が割り込むようにして会話に参加している。宮部と山下はどうなってるんだ？そして寒川は宮部に告白したんだろうか？でも、そんなことはどうでも良かった。もうすぐ学生が終わろうとしている。これからは社会に対する責任という奴を持ちながら生きなければならないのだろうか？社会人になっても、日々の生活はそれなりに楽しいのだろうか。考えれば考えるほど学生が終わってしまうのが惜しくてしかたがなかった。学生という身分でやり残したことがまだたくさんあるような気がしていた。
パーティーは何事もなく、みんな二次会のカラオケに行くとのことだった。沢田はいつもは行くのだが、明日用事があるという理由をつけてその日はそのまま帰ることにした。
沢田は駅へ向かってゆっくり歩いていた。今まで何百ぺんも通ったこの道もあと数度通えば通る用事が無くなる。川添は珍しくカラオケに行くというので、沢田は一人だった。透明な冬の冷気が肌に刺さった。今日は手袋を持ってくるの忘れたな、両手を袖の中に引っ込めて肩をすぼめて沢田は歩をすすめた。後ろから軽い足音が近づいてきた、誰かが後ろから走ってくる。沢田は足を止めて振り返った。寒川だ。赤いダルマのようなダウンジャケットが白い息を吐きながら近づいてきた。
「おい！沢田帰っちゃうのか？」寒川は沢田に追いつくと、息をはずませながら言った。
「明日はやいんで....」沢田は応えた。
「おお、そうなのか？ちょっとコーヒーでも飲んでかないか？俺も今日はそれで帰るわ」有無を言わさない感じで寒川はルノアールを指差しながら言った。
まあ、いいか。沢田は寒川に従ってルノアールに入った。外とは別世界の暖かい空間で、沢田はコーヒーを頼んだ。沢田は別に寒川ともう話したいことも無かった。
しかし、寒川は自分のココアが届くと息せき切って話はじめた。
「実はな、あっさりふられちゃったんだよ。宮部さんに。」
そのことが話したかったのか。沢田は適当にあいづちをうちながら寒川の唄を聞いていた。自分からは質問はしなかった。早く終わって欲しいからである。
１０分も唄っていただろうか、唐突に寒川は静かになった。ふと、沢田は自分の手が寒川に触られているのに気がついた。「手小さいな.....。」言いながら寒川は沢田の手をひっくり返した。そして沢田の手のひらと自分の手のひらを合わせながら、
「オレの手にすっぽり入るぞ」と言った。沢田は、この人なにやってるんだろ思いながらふと寒川と視線をあわした。寒川はうるむ目でこちらを見ていた。
沢田は慌てて手をひっこめた。しっとりした温もりが左手に残っていた。
３０秒ぐらい気まずい沈黙が続いた。沢田はそろそろ帰らなければならないことを告げ席をたった。ルノアールの扉を出てからコーヒー代を払っていないのに気がついた。ガラスばりの店内を透かし見ると、寒川が両手でココアのカップを包んで遠くを見ていた。沢田は結局そのまま帰った。もう一度寒川に声をかける勇気は無かった。
(12)
沢田は自分でつくった簡単な夕食の皿を片付けると、テレビを消した。もう一度宮部、いや八幡夫妻の結婚しましたハガキを電灯のしたにさらした。やっぱり山下さんとは何でもなかったのか？まあ、どうでもいいことだ......。
宮部のハガキで思わず寒川のことも思いだしてしまったが、川添の話では寒川は女性と結婚して、子供もいるとの話である。あの潤んだ目も、何かの間違いだったのか？まあ、これもどうでもいいことだ。
川添も独身だ。彼とは今でもちょいちょい会っている。気がついてみれば大学時代の友人で残っているのは川添だけだ。あいつは親友なんだろうか？
明日もいつものように仕事だ。沢田はレターケースにハガキを放り込むと着替えを取り出し風呂、いやシャワーへと向かった。風呂はためるのが面倒くさい。冬でもシャワーだ。風呂だろうがシャワーだろうが、これもどうでもいいことだ。
（おわり）
2000/03/01 wrote