（９）
病院は雑居ビルの間に突然建っていた。比較的新しそうな鈍い青い光沢のタイルに覆われている。入口の緩やかなスロープをのぼると、軽い音をたてて自動ドアが開いた。
「ねえ、沢田くん。山下さんには何時に行くって言ってあるの？」宮部が尋ねてきた。そういえば、山下には何も連絡していないのを思いだした。
「こういうものは、突然行って驚かした方がいいんだよ。」沢田はさも、計画通りというような感じで宮部の質問にこたえた。ロビーのひんやりしたクーラーの中で汗がひいていった。
「え、そんなの迷惑よ。手術はいつだったのかしら？面会時間も病院によって違うのよ。」宮部は驚いた様子で沢田を見上げた。
「手術はもう終わってると思うけどな....。」ふと見ると面会時間の案内板が目に入った。
平日：11:00〜19:00
とあった。沢田はそれを指差しながら続けた。
「面会時間は大丈夫だよ。山下さん何号室に入院してるか聞いてくるね。」と言い残し、病院の受け付けへ宮部をおいて向かった。自分は山下へのお見舞いに行くというより、宮部とデートしたかったのだろうか？山下の部屋は203号室だった。
病院特有の動きの遅いエレベータで二人は二階に到着した。病院特有の消毒薬のようなにおいがたちこめている。沢田は自分がドキドキしているのを感じた。誰かのお見舞いにくるなんて、今までそういえばなかった。中学生ぐらいの頃に、おじいちゃんのお見舞いに行ったことがあるような気もするが、そのときのことは親についていっただけなのでよく覚えていない。
病棟には午後のけだるい雰囲気が漂っている。ガラス張りの部屋の中に看護婦が３人ぐらい座って、何か書類のようなものを書き込んでいる。
「ねえ、あそこに記帳するんじゃないの？」宮部が指差しながら言った。
ガラスの部屋のカウンターみたいなところにノートが開いている。
「そうみたいだね」言って山下はペンをとった。この病棟には今日は既に１０人ぐらいお見舞いにきてるいるようだった。宮部が横から覗きこんでいる。
「おれの名前でいいよな？」宮部の方を見やりながら、沢田は自分の名前を書いた。
「山下さんのお見舞い誰かきてる？」宮部は沢田の質問にはこたえずに言った。
「今日はきてないみたいだね」沢田は言いながら視線を上げ、ガラスの部屋をすかし見た。看護婦の一人と目が合った。看護婦は気まずそうに視線をそらした。
宮部は前のページが見たそうな感じであったが、沢田はペンを置くと病室の方へ歩をすすめた。
「２０３だよね」歩きはじめると宮部も並んでついてきた。病室の廊下を少し歩くと、２０３号室はすぐにあった。６人の名前の表札が入り口にあった。その中にもちろん山下の名前もあった。
沢田が先に病室に入った。宮部も「こんにちは」といいながら沢田の後について入ってきた。
午後のけだるい雰囲気が漂っている。ひびわれたようなテレビのワイドショーの音が聞こえていた。
あたりまえだが病室にいたのは全員男だったが、部屋には４人しかいなかった。４０代ぐらいの男が二人。おじいさんが一人。もう一人は無こうを向いて寝ているので、何歳ぐらいかわからなかった。その中に山下はいなかった。
「山下さんいないね」宮部が花を山下のベッドに備え付けのテーブルみたいなものの上に乗せながら言った。
「ああ、散歩かな？」沢田もそう言いながら花のわきにお見舞いの紙袋を置いた。
「そこの兄さんは今風呂だよ」隣のベッドのおじいさんが半身を起こして言った。
「お風呂なんですか」宮部がおじいさんの方を振り返りながら言った。
「もう行ってからけっこうたつからそろそろだと思うよ」そう言うと、おじいさんはにっこり笑って言葉をついだ。
「あれかね？親戚さんかなにかあかい？」
「いえ、学校の.....」と沢田は言いかけて、言葉をめぐらした。マスターって言ってもわかんないだろうな....。言い淀んでいるとおじいさんは勝手に納得した。「ああ、友達かい」。言うと沢田と宮部をジロジロと見比べた。このじいさん、俺らを恋人と思ってるのかな？沢田は思った。病室の他の３人はこちらの話に耳をそばだてているのがわかった。
沢田が宮部の方を見ると彼女もこっちを見ていた。「ちょっと出ようか？」沢田が言うと、宮部は目でうなずいた。
お見舞いの紙袋と、花をそれぞれ持つと二人は病室を出た。風呂っていったいどこだろう？しかし風呂に行ったところで、山下は風呂に入っているのだ。宮部も同じ風に思ってるみたいだ。
「ロビーに行こうか？」宮部が言った。「そうだね３０分ぐらいしたらまた来てみようか？」と沢田は答え、エレベーターの方に歩きはじめた。
「あ、待って、山下さん！」宮部が言うので沢田は振り返った。スリッパに、赤青アクセントが入ったスウェットを着た山下が、首にタオルをかけて、ペタペタとこちらに向かって歩いてきた。向こうもこちらに気がついたようだ。
「おお、いらっしゃい。今風呂入ってたんだよ。」言うと山下はニッタリと笑った。
今度は山下に続いて沢田と宮部は２０３号室に入った。隣のおじいさんはまた半身を起こして山下に言った。「おお、兄さんよ、お見舞いだよ」そんなこと今更言わなくてもわかるのに、じいさんは山下に報告した。「そうみたいですね」言うと山下はお風呂セットを戸棚にしまった。
そして沢田達の方を振りかえると言った。「食堂行こうか？」
その食堂は一階の奥の方にあった。患者のお見舞いに来た人向けといった感じの食堂で、うどんとかカレーとかそんなものと、あとはコーヒーや紅茶等の喫茶メニューだった。
沢田たちは４人かけのテーブル席に座った。宮部と沢田は隣どおしで、向かいに山下が座った。カレーのほのかな香りが漂うその食堂には客は沢田達以外には１組しかいなかった。
「おごるから好きなもの頼んでくれ。たいしたものはないけどな。」山下はごきげんそうだ。
沢田と山下はアイスコーヒー、宮部はオレンジジュースを注文した。
注文が終わると山下が口を開いた「いやあちょうど良かったよ、さっき久しぶりに風呂入ったんだよ。」
山下は手術以来さっきがはじめての風呂だったそうだ。
会ってみると特に話すこともなかった。山下は手術のことをいろいろ話していた。まだギブスはしていて、腹にそれはまいてあった。
「こいつがとれればだいたい退院だな」山下はギブスをコツコツたたきながら言った。宮部は山下の話にいちいちうなずいていた。
おれは山下さんのお見舞いに来てるんだよな、と思いながら沢田は山下の話をなんとなく聞いていた。
病院を出るとまだ３時をまわったところだった。沢田はまだ宮部をこのまま帰したくなかったが、喫茶店に入ろうにもさっき山下とアイスコーヒーを飲んだばかりだった。まあ、このまま帰ってもいいかな、とか思ってるところに宮部が言った。
「せっかくのデートだから映画でもいかない？」
(10)
沢田は心臓が高鳴るのを感じていた。宮部はいったいどんなつもりで、こんなこと言ってるんだ？しかし、顔を見ようにもどうしても視線を合わせることができなかった。
沢田は努めて 平静を装いながら応えた。
「新宿行く？」
そして二人は新宿へ行った沢田は映画は嫌いでもないが劇場で見るのなんて久しぶりだった。何が話題作かもまったくわからず、宮部が見たいという映画を見た。ジョディ・フォスターが出てる映画だった。それぐらいなら沢田もわかった。
映画が終わるとすっかり食事の時間。なりゆきで、そのまま食事をした。宮部はよくしゃべった。内容はよく覚えていないが、よく笑った。沢田はあらためて宮部がかわいいと思った。そして二人は、別れた。
映画をみて食事なんてまさにデートではないか。帰りの電車の中で沢田は真っ黒な窓の外を見ていた。宮部の言った”デート”という言葉が頭に突き刺さっていた。「あれはやっぱりデートだよな.....」沢田は口に出してつぶやいてみた。
2000/02/28 wrote